日本肢体不自由教育研究会
 

肢体不自由教育 No.180

学校のチーム力を高める

 4月より特別支援教育制度が始まりました。第180号発行が、この新制度改正への過渡期にあたることから、本号の記述では旧来から使われている用語も用いました。ご承知ください。

 さて、今後、特別支援学校においては「専門性」と「授業力」の向上が一層求められます。魅力ある学校づくりを目指して、組織としての力量が今まで以上に問われることと思われます。

 本特集号では、巻頭言と論説で学校における組織の在り方について論じていただきました。実践報告では、特別支援教育の新たな展開として、校内組織づくりや外部組織との連携、専門家の導入などを報告していただき、組織として取り組むことの重要性を示唆していただきました。

 組織としての学校において、その中心となる要素である「共通目的」や「協働意志」、「コミュニケーション」を、会員の皆様が改めて考え直す機会となることを願っております。(竹内 朗)

 

・特集
学校のチーム力を高める

授業力や専門性の向上など、特色ある学校づくりに必要なのはチーム力であり組織力です。本特集では、学校のチーム力や組織力を、日々の教育に生かすためのコツや工夫を紹介します。
・巻頭言
「子どもの教育」におけるチームの組織力
蘭  千壽
千葉大学教育学部教授
・論説
教育実践を支援するための学校の組織化
―その必然性と組織化への方略―
肥後 祥治
熊本大学教育部准教授

授業の質を高めるために教員力と組織を生かす
荒  正文
福島県立郡山養護学校校長
・実践報告
特別支援教育に向けた組織づくり
伊丹 由紀
京都市立北総合支援学校副教頭


隣接施設との連携と自立活動の充実
小出 佐智子
千葉県立袖ヶ浦特別支援学校教諭


自立活動への外部専門家の導入と連携の実際
木村 泰子
東京都立城北養護学校副校長
アシスタントティーチャーが生きる教育活動
岡本  繁
北海道拓北養護学校教諭


マネージメントサイクルを機能させるチーム・ティーチングでの授業づくり
森屋 洋子
秋田県立秋田養護学校教諭
・施設紹介
知的障害者通所更生施設 大地―地域で自分らしい生活を―
石橋 昌和
「自立の里 大地」生活支援員
・上肢操作の基礎知識1
随意運動の獲得とまひ
関内 美奈子
彰栄リハビリテーション専門学校専任講師
・ちょっといい話 私の工夫
組み立て簡単・収納便利な市販品活用教材
竹田 文子
山形県河北町立谷地中部小学校教諭
・医療的ケアの最前線
医療的ケアを必要とする幼児児童生徒と
看護師等の配置状況について
下山 直人
文部科学省 初等中学校教育局
特別支援教育課 特別支援教育調査官
・特別支援教育の動向
平成19年度 特別支援教育関係施策について
下山 直人
文部科学省 初等中学校教育局
特別支援教育課 特別支援教育調査官
・読者の声
親の思いは様々なれど……
世古口 治子
愛知県立岡崎養護学校教諭


 「親や兄弟がいない所でもこの子らしさは失わず、社会の中で過ごしていけるようになって欲しい」個別の支援計画を立てる際、「将来の姿は、どうあって欲しいですか」という問いに対して、A君の母親が答えました。
  順番でいけば、親の方が先に逝く。兄弟だって兄弟の人生がある。いつかこの子は、この子の力で自律して生きなければならない。その時に、この子らしさを失わず生きていく力をつけていって欲しいと言われたのです。大変重みのある言葉でした。
  また、B君の母親は、「そんな先のことは考えられない。だって、病院で器械をつけられて寝ているかもしれないし……。」と口籠もられた。B君は、進行性の障害で、母親はドキュメンタリーの放送などで目にする人の姿がそのまま、息子の未来に重なってしまい、怖いそうです。また違った重みのある言葉でした。
  その他にも色々な話はありましたが、共通する将来への展望はどんな状態であっても、「その子がその子らしさを失うことなく」、「その子の持ちうる力を使って、与えられることを受け入れるだけでなく、自分で考え、選択をし、納得をしたうえでの人生を」ということでした。教員の願いもそうです。
  それには、何か不安や問題に直面した時、自分なりに解決する力を育んでいくことだと考えます。教育の場面では、子供たちは受動的になりがちですが、本当は自己解決能力を高めるべく、個々がその能力の中でじっくりと考え答えを出しながら、精神が太く、柔軟に育つような時間の持ち方の工夫が大切です。そしてこれこそ個別の支援教育だと感じています。


重度・重複障害児とのコミュニケーション
上村 伸次
鹿児島県立出水養護学校教諭

 寝たきりで四肢の動きが少なく、また表情の変化も乏しいために気持や感情を伝えるのが困難な児童生徒について「児童生徒の実態」「教師の働きかけ」「意志の表出の変化」の三項目を授業記録として記述し、事例を検討しています。
  そうすると、「教師のことばがけやかかわりが、児童生徒に伝わるのだろうか」「仮に伝わったとして、児童生徒はそのことをどのように発信しているのだろうか」「そもそも児童生徒からの発信が存在するのか」「もし教師と児童生徒とにコミュニケーションが成立しているとしたら、それはどんな事実で確かめられるのか」という疑問や迷いが生じてきました。
  そのとき、本誌175号の特集記事「表出から表現へ―関係の中で変わる子供の表現活動―」の中の一節で、「新生児期の泣きは、空腹や体温変化や排泄などの不快感が体の表面に押し出されたものであり(表出)……(中略)……ところが養育者は……(中略)……赤ちゃんが私に空腹を訴えていると受け止める……」が非常に参考になりました。
  養育者が「表出」に他ならない赤ちゃんの泣きに、このように対応することが自然に繰り返される中で、赤ちゃんには「泣けば対応してもらえる」という予期が生まれ、養育者への「表現」に変化すると記されていました。
  障害が重度な児童を観察してわかる変化は汗の出方や呼吸の乱れであり、おそらく「表出」の域を出ていないのかもしれません。しかし、私たちの受け取り方や推察次第では、児童生徒の「表現」としてとらえられるのではとより強く確信できました。今後、表出される事象をより客観的に「表現」と説明できるような観察力、表出される事象をより高次なものに導ける指導力を養いたいと思います。
■キーワード 東京教師道場
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■次号予告
■編集後記