平成16年度、私は初めて肢体不自由教育に携わりました。何をすればよいのか見当もつかず、何もしていなくても放課後になると疲れてぐったりとしていたのを覚えています。
同僚や先輩に基礎的なことから実践的なことまで、毎日教えてもらっていました。そんな中で先輩から、この「肢体不自由教育」誌を紹介され、藁をもすがる思いでページを開いていました。
その後、特別支援学校(知的障害)での勤務経験を経て、平成22年度より柏崎特別支援学校で勤務をすることとなりました。
肢体不自由のある児童の担当となり、再び本誌のページを開くこととなりました。本校は特別支援学校(病弱)ですが、論説や実践報告は、障害種別が異なっていても参考になる視点がたくさんあることに気づきます。
また当時のバックナンバー誌に再び目を通すと、今でもとても役立つ記事に出会えたり、当時は何気なく読んでいた実践報告のとても深い意義に気づいたり、新たな発見をすることもあります。
現在の勤務校では、ティームティーチングではなく、独りで学級担任をしていますが、本誌で目にする記事が様々な情報を与えてくれたり、考えを整理してくれたりします。
また、気持をほっとさせてくれる記事もあり、私にとって本誌はまるで同僚や先輩のような存在となっています。
「人は常に発達する存在。生涯にわたって学習し続けるものであり、そのことが生活の充実や張りにつながる」。社会教育主事講習で学んだ言葉です。
多くの人が同好会、カルチャースクール、少年団など学校以外で行われる様々な文化的・体育的活動に参加し、仲間と出会い、生活を楽しんでいます。
防府総合支援学校の子供たちも、休日に各種団体の主催する活動に参加することがあります。休日明けには「お祭りの準備をしたよ。」「みんなで果物を収穫して食べたよ。」などと教えてくれます。
団体の広報誌には、子供たちの笑顔がいっぱいです。果実の香りや手触りなど、五感を通しての新しい刺激に素直に感動する、素敵な表情もあります。また、友達や仲間と過ごした楽しさ・心地よさから、「次も行きたい」と参加意欲を高めている子供もいます。子供たちが、人と人とのかかわり合いの中で成長しているのだなと感じます。
一口に「活動」といっても、様々な内容があります。子供の実態によって、また活動の場によって、内容は様々に変化します。家族とのかかわりそのものが、成長のものさしで大きな意味をもつ子供もいます。
家族や仲間と何らかの活動に参加し、人は自分の居場所を実感できます。また、楽しみや役割があることで幸せを感じます。この幸せを感じることこそが「発達」であり、生活の充実ではないでしょうか。
障害のある子供への教育支援を進める際には、ともすれば個別の学習課題の克服が中心になりますが、子供たちの社会参加への夢を大切にして、豊かなかかわり合いの学びを積極的に実践していきたいと思います。