この本は、韓国で生まれた著者が、日本で教育心理学を学びながら姪(サラさん)と共に過ごし、「サラと、サラによって育まれた私自身の成長記録」として、まとめたものです。サラさんは、生後3か月の時、交通事故により重い脳損傷を負い、言葉を話すことも独りで食事をすることもできなくなってしまいます。そのサラさんと著者ら家族が支え合い、生きがいをもって生きてきた15年間が3部構成で綴られています。
第1部「『生きる』―そこにすべてがある―」では、サラさんの誕生から中学を卒業するまでの成長過程や、その時の周囲の人々の取組や思いが描かれています。子供が誕生して間もない時期の親(特に母親)の気持。これまでぐずつく声や嫌がって激しく泣く声しか出さなかった子供が笑い、その笑顔がこんなにも心を豊かにするのかと初めて知る瞬間の感動。療育施設や学校との出会いが、どうなるか分らないままに頑張ってきた家族の足元に将来への光を灯したこと。そんな中、自傷でしか不安や不快感を表すことができなかったサラさんが、毎日の学習の中で自分なりに見通しをもってみんなと動くようになったこと。中学3年間を振返ると、そこにはサラさんのめまぐるしい変化と成長、見守る保護者の戸惑いと不安、そして成長した子供の姿に対する喜びと心強さがあったこと。サラさんの笑顔に、生きることがどれほど強い力を秘め、人と人が関わってつくるこの世界を豊かにするのかをいつも気づかされたこと、等々が描かれています。
第2部「振り返ると、道はつながっている」では、3歳児健診や保健所の親子教室での経験を通して、くじけたり投げ出したくなったりしながらも決して子供の手を離さず、進んでいく姿にお母さんたちの強さを感じたこと、韓国での動作訓練キャンプを通して子供の成長に役立ちたいという思いで集まった人たちには、国籍も言葉の違いも問題ではないと感じたこと等が書かれています。特に著者が強調しているのは、過去を振返ると、人と積極的に関わることができず、集団に入っていけなかった著者が、多くの人々と学び合い、一歩ずつ自分の生活を築き上げてこれたのは、そのつど起きた出来事に取組み、出会いを経て導かれてきたもので、そこには何も計画性はなかったということです。
第3部「サラからの贈りもの」では、著者の思いが書かれています。人が自分をどう見るかなど関係ないサラさんに、与えられた命を生き抜くのが人間として自然の姿であることを教えられたこと。「『育児』は『育自』」という言葉があるように、真剣に誰かを育てる立場になると、自分自身を振返らざるを得ないこと。自分自身が変わらない限り相手も変わらないことや、真実の言動でなければ相手の心に響かないことに気づき、自分自身が成長する時間となったこと。心を支え、愛情を伝える一番の方法は、どんな犠牲や労力より、「あなたはきっとだいじょうぶ」という信頼と希望のまなざしであること。
どんな困難があっても、「きっとだいじょうぶ」という信頼と希望を忘れずに、そのつど真剣に取組み、そこでの出会いを大切に生きていくことが次につながる、という信念に心を打たれます。
筑波大学附属桐が丘養護学校 一木 薫
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