本書は、肢体不自由児療育事業に、その半生をささげた女医竹澤さだめの生涯と業績を紹介したものです。
竹澤さだめ(一九〇三〜一九四三)は、日本で、最初に整形外科学において医学博士号を取得した女性です。わが国の肢体不自由児療育事業の始祖として、整肢療護園の創設者高木憲次が有名ですが、高木の師である田代義徳、柏学園の創設者柏倉松蔵、クリュッペルハイム東星学園の創設者守屋東らも、この分野で忘れてならない人物です。しかし、竹澤さだめが、わが国最初の肢体不自由児学校、東京市立光明学校の創立以来八年近く、学校医を勤めていたにもかかわらず、残念ながら、短い生涯であったためか、その業績についてはよく知られていません。
本書の著者松本昌介氏は、東京都立光明養護学校に勤務していたこともあって、「光明学校史を作ろうと考え、『松本保平校長遺稿集』、『上山田全校疎開の記録』、『介助員制度と複数担任制』と歴史を少しずつ切り取って資料紹介を」しています。そして、次いで「クリュッペルハイム東星学園と守屋東」をテーマとしましたが、「その守屋がクリュッペルハイムをつくるに当たって一番頼りにしていたのが竹澤さだめでした。……まず竹澤さだめの仕事を明らかにしておきたい」という意図で、本書を著しました。
執筆に当たって、著者は、多くの療育事業関係者に教示を求めたほか、東京女子医大史料室、東京大学医学部図書館、名古屋市立菊里高等学校等から原典や原資料を入手し、更に、愛知県知多市の竹澤の生家を訪ねて遺族の方から資料や写真の提供を受けて、それらを忠実かつ正確に引用しながら、本書を執筆されています。
著者は、竹澤の生涯と仕事を振り返るとともに、「女医への道を開いた先人の仕事、肢体不自由児療育事業を開拓した整形外科医などの足跡にも触れ、竹澤さだめの同時代の動きを概観」しています。
このような著者の意図に基づいて、本書には、竹澤さだめを核に関連する事項について、資料を引用しながら紹介されています。章立ては、次のとおりです。
第1章 女医への道
第2章 東大整形外科学教室に入る
第3章 ドイツ留学
第4章 クリュッペルツェールング(肢体不自由児実数調査)の開始
第5章 東京市立光明学校設立
第6章 光明学校の医療と教育
第7章 守屋東と東星学園クリュッペルハイム
第8章 医学博士号取得
第9章 病気そして死
戦前のわが国は、女性が社会で活躍するには、困難な時代でした。その中で竹澤は、女医を選び、整形外科医として、高木憲次に師事し、草創期の肢体不自由児療育事業の開拓に大きく寄与しました。
本書は、竹澤の伝記の域にとどまらず、彼女が生きた時代の肢体不自由児福祉・教育の歴史といってもよく、広く関係者に一読を勧めたいものです。
国立特殊教育総合研究所 名誉所員 村田 茂
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